武生水まちづくり協議会(設立準備中)(準備中)

武生水地区の変遷

港町・郷ノ浦から、周辺の「触」へ広がった壱岐の中心地

武生水(むしょうず)は、現在の郷ノ浦町郷ノ浦、本村触、庄触、東触、永田触、片原触にあたる歴史的な地域名です。このページでは、これら6地域に田中触古城を加えた7地域を対象に、その歩みを紹介します。

郷ノ浦には、海の玄関口である郷ノ浦港があります。しかし、まちの歩みをたどると、行政、教育、住宅、商業など暮らしを支える機能は、港の周辺だけでなく、永田川や道路に沿って周辺の「触」へ広がってきたことが分かります。

このページでは、2025年に発表された研究論文と壱岐市・長崎県などの公的資料をもとに、その大きな流れを地域の皆さんに読みやすい形で紹介します。

「武生水」という地名

武生水は、中世の史料にも見える古い地名です。平凡社『日本歴史地名大系』によると、1369(正平24)年の「壱岐神領図」と「壱岐国七社神領敷地定書」に「武生水村」、1567(永禄10)年の「壱岐国田帳」に「武生水」の名が記されています。

一方、地名の由来は確定していません。『日本歴史地名大系』は、「御庄津」から変化したという説と、日本武尊がこの地で産湯につかったことに由来するという伝承を併記しています。

このページで扱う「武生水地区」

「武生水地区」の範囲は、制度の目的によって表し方が異なります。このページでは、どれか一つだけを地区の唯一の定義とはしていません。

農業委員会の規則
推進委員の担当地区「武生水」は、郷ノ浦、本村触、庄触、東触、永田触、片原触の6地域です。
盈科小学校区(学校の校区)
上記6地域に加えて、坪触と田中触の一部が含まれます。
まちづくり協議会の基本区域
こちらも「盈科小学校区」を基本区域としていますが、学校の校区とは範囲が異なります。別表に挙げられた自治公民館を見ると、坪触の3館は初山小学校区のほうに区分されており、 武生水地区には含まれません。また、別表の自治公民館名の中には「古城」が明記されています。

港の「浦」と、後背地の「触」

歴史上の武生水村には郷ノ浦が含まれていました。ただし、港町である郷ノ浦は平戸藩の「浦掛」の支配を受け、農村部の武生水村とは別に扱われることも多くありました。そのため、このページでは「郷ノ浦の昔の名前が武生水だった」と単純化せず、港の「浦」と、その後背地を含む歴史的地域名「武生水」の関係として捉えます。

郷ノ浦は、永田川の河口に開けた入り江に沿って家々や商店が連なる港町です。一方、その背後の本村触、庄触、東触、永田触、片原触には、農地や住宅地、行政・教育施設などが広がってきました。

郷ノ浦の背後には丘陵が迫り、港の近くには広い平地が多くありません。研究では、こうした地形のもとで、まちが大きく二つの方向へ変化したと整理されています。

海岸線に沿う方向

港の機能が西側へ

船舶の大型化に対応して、防波堤、岸壁、物揚場、臨港道路、旅客施設などが元居側へ整備されました。

永田川・道路に沿う方向

暮らしの機能が内陸へ

行政、教育、公営住宅、一般住宅、商業などが、郷ノ浦から周辺の触へ連続的に広がりました。

まちの機能はどこへ広がったか

亀丘城と行政の中心

本村触にある亀丘城跡は、1293(永仁元)年に波多宗無が築いたと伝えられる県指定史跡です。江戸時代には平戸藩の壱岐城代が館を構え、壱岐支配の拠点となりました。

近代以降も本村触周辺には役場や国・県の出先機関などが置かれました。港に面した郷ノ浦が人と物の玄関口であったのに対し、その背後は行政の中心として発展してきました。

道路と港が変えた人の流れ

戦後、国道382号や主要県道の舗装・拡幅が進み、郷ノ浦から島内各地へ向かう道路交通が整えられました。郷ノ浦港は1959(昭和34)年に重要港湾の指定を受け、その後も港湾施設が段階的に整備されました。

元居トンネル、郷ノ浦大橋、郷ノ浦トンネル、新郷ノ浦港線などが整備されると、港へ向かう車は従来の中心商店街を通らずに移動できるようになりました。利便性が高まる一方で、人の流れや商業の立地にも変化が生まれました。

学校、住宅、商業は周辺の触へ

盈科小学校は本村触、壱岐高校は片原触にあります。公営住宅も永田触や片原触など、港の背後にある地域へ展開しました。

田中触の古城団地は、壱岐市の2025年の計画によると、平屋棟が1966〜1968年、中層棟が1977〜1980年に建設されています。古城は、現在の盈科小学校区と武生水の市街地の広がりを考えるうえで関わりの深い住宅地です。

永田川沿いでは、浦と触を隔てる地形が比較的緩やかです。道路沿いに商店や住宅が並び、国道と県道がつながる一帯には大型商業施設も立地しました。こうして中心地の機能は、港の周辺だけでなく、本村触、永田触、片原触、東触などへ広がっていきました。

一つの中心ではなく、つながりでできたまち

現在の武生水地区は、一つの中心だけでできたまちではありません。港の郷ノ浦、行政と教育の拠点が置かれてきた本村触、住宅や商業が広がる周辺の触が結びつき、全体として壱岐の中心地を形づくってきました。

中核資料の研究は、旧郷ノ浦町中心部と周辺の変化を扱ったものです。7地域それぞれの歴史を同じ詳しさで記録した通史ではないため、このページでは共通する大きな流れを紹介しています。

主な出来事

  1. 本村触に亀丘城が築かれたと伝えられる。

  2. 「壱岐神領図」と「壱岐国七社神領敷地定書」に「武生水村」の名が見える(『日本歴史地名大系』による)。

  3. 「壱岐国田帳」に「武生水」の名が見える(『日本歴史地名大系』による)。

  4. 町村制の施行により武生水村が成立。

  5. 武生水村が武生水町となる。

  6. 武生水町と渡良・柳田・沼津・初山・志原の各村が合併し、郷ノ浦町が成立。

  7. 郷ノ浦港が重要港湾の指定を受ける。

  8. 古城団地の平屋棟を建設。

  9. 古城団地の中層棟を建設。

  10. 元居トンネルが完成。

  11. 郷ノ浦大橋が完成。

  12. 郷ノ浦トンネルが完成。

  13. 島内4町が合併し、壱岐市が成立。

  14. 新郷ノ浦港線が開通。郷ノ浦港で耐震強化岸壁が完成。

出典

文章は次の資料をもとに独自に要約・再構成しています。研究論文の本文や図11〜13は転載していません。

出典の内容とリンクは2026年7月28日に確認しました。

武生水地区のまちづくりは、いま設立準備の最中です。準備の様子はお知らせで、参加・連絡の方法は参加・連絡でご案内しています。